破魔弓のルーツと飾る意義
破魔弓が飾られるようになった経緯は諸説ありますが、「なぜ男児が生まれた初めてのお正月に破魔弓を飾るのか?」というそのルーツを掘り下げてみました。
そもそも破魔弓は弓と矢を組み合わせた飾りですが、もともとの用途は"狩りをするための道具"です。それが後に"戦いのための道具"となり、現代では"競技や武芸、神事や祭礼の道具"として残っています。当然ですが破魔弓は"神事や祭礼"の要素としての役割を果たしています。
それではなぜ弓矢は神聖なモノとして考えられるようになったのでしょう?答えは単純、狩猟により人間に恵みをもたらす道具であったからに他なりません。
個人的な見解ですが、弓矢の形状の潔さというべくシンプルなデザインもどこか人々を引きつける力があったとも思われますが…いかがでしょう?
鳴弦の儀
「弓矢=神聖なもの」という考え方は古くからあり、なかでも破魔弓飾りの起源にもっとも関わりが深いとされる神事として"鳴弦(めいげん)の儀"があります。これは室町時代から伝わり、子供が誕生の際に弓に矢をつがえずに弦を引き、音を四方へ向け発することで邪気を退ける儀式です。この儀式は今日の皇室でも行われています。
この考えに従えば、破魔弓飾りの矢の数は『最低でも4本必要』となるため、鯉徳では4本以上の矢を配した破魔弓飾りのみのお取り扱いとしております。
ちなみにこのとき的(まと)として使われるモノを"はま"とよび、のちに"破魔"という字をあてました。破魔弓の語源はここからきていると思われます。
長い歴史の中で結びつき生まれた破魔弓
その他、昔の宮中で男性が毎年1月17日に行っていた弓競技の"射礼(じゃらい)"や年占いと厄除けのため正月に行う"弓射(ゆみいり)"などなど。
弓を使って行われる神事・祭礼が正月に多いことや、それぞれの行事が持つ意味合いが長い時代のなかでお互いに結びついたことで、今日の破魔弓飾りがお正月に飾られ、その意義も引き継がれるようになったと考えられます。
また旧暦の12月~1月の間は、十二支による暦の上で「丑・寅」にあたり俗に言う鬼門(きもん)、つまり縁起が悪い時期と重なります。そのため「この時期を生命力のまだ弱い赤ちゃんが無事に乗り越えられますように…」という家族の願いが込められてもいるのも忘れてはなりません。
「破魔弓=お守り」と簡単に言われますが、その考え方の背景には奥深い信仰や文化の蓄積があり、そこに家族の幸せを願う気持ちが融合することにより伝統文化として今もなお残っているわけなのです。
これから破魔弓をご購入される皆さまは、背景にあるストーリーをちょっとだけ意識しながらお選びいただくのも楽しいかもしれませんよ。