コレクション:
房総のサムライ展(五月人形 本多忠勝)
本多忠勝(1548~1610)とは?
天文17年(1548年)三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれる。幼少の頃の名前は"鍋之助"であだ名は"平八"。幼い頃より徳川家康に使え、徳川四天王の一人として活躍した戦国武将。トレードマークは漆黒に塗られた"鹿角兜"、肩から下げた"金の大数珠"、自慢の名槍"蜻蛉切(とんぼきり)"。天正17年(1591年)には千葉県夷隅郡 大多喜藩の初代藩主となり街の発展に大きく貢献する。五月人形のモデルはこの甲冑
本多忠勝所用の具足として本多家に代々伝わってきた「黒糸威二枚胴具足(重要文化財)」。全身黒づくめ、鹿角の脇立と獅噛の前立が付属した兜、たすき掛けした金箔押の大数珠が特徴的で、猛将と呼ぶにふさわしい威圧感のある甲冑である。見た目の重厚感に反して随所に軽量化がほどこされており、この軽装さが戦場での活躍を下支えする秘訣だったのかもしれない。金箔押の大数珠は漆黒の甲冑の中に映えるアクセントであると同時に、忠勝の信仰心の深さが伺える。自身の肖像画にもこの甲冑に身を包んだ姿が描かれており、所有する甲冑のなかでも忠勝自身が特にお気に入りの甲冑だったものと思われる。
語り継がれる忠勝伝説
- 初陣は桶狭間の戦い。わずか13歳だった。
- 一躍名を馳せた一言坂の戦いで、敵方の小杉左近が『家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八』とその剛勇ぶりを賞賛するほど。
- 小牧・長久手の戦いで16万の豊臣軍の前に1人で進み出たその姿に敵陣の秀吉が感心。隊を退かせた。
- 織田信長からは「花実兼備の勇士」と絶賛され、豊臣秀吉からは「天下無双」と認められ、主君家康からは「徳川四天王」に抜擢される。3人の天下人から讃えられた武将は忠勝だけとも言われている。
- 初陣から関ケ原の戦いにいたる生涯57回の合戦においてかすり傷ひとつ負わなかった。
- 寝返りや裏切りの多い戦国時代において、生涯をかけ家康に仕えた。
…など、人としても武士としても優れた人物であったことが多く語られている。
本多忠勝の軌跡を訪ねて
東京から車で約2時間。房総半島の南東部に位置する千葉県夷隅郡大多喜町。本多忠勝が大多喜城を築城し、城下町として発展した房総の小江戸大多喜には、忠勝ゆかりの名所や城下町の面影を残す町並みが多数存在しています。休日はカメラ片手に「いざ、大多喜へ!」
大多喜散策ではじめに目指すのはここ。1590(天正18)年に本多忠勝が築城した難攻不落の要塞"大多喜城"。現在の天守閣は昭和50年に千葉県指定史跡・上総大多喜城本丸跡に建てられ、館内は千葉県立中央博物館大多喜城分館となっています。
大多喜城築城と時を同じくして忠勝が建立した"良玄寺"。忠勝の眠る墓は分骨され2ケ所ありますが、そのうちの一ケ所がこちらのお寺。墓地には忠勝の墓とともに本多忠勝夫人と二男忠朝(ただとも)の五輪塔が建てられています。また同寺にはかの有名な"紙本著色本多忠勝像"が保有されていました。(現在は千葉県立中央博物館所蔵)
良玄寺の一角にある憩いの場所。実はここ、忠勝さながら危機一髪の人々を救ってくれる場所でもあります。(その理由は行ってみてからのお楽しみ)
これぞまさしく本多忠勝公! 威風堂々としそのたたたずまい…渋いです。通常銅像は駅前や公園などに鎮座していますが、忠勝像はそんな平凡な場所で見つけることはできません。この像の反対側には立ち姿の忠勝像もあります。この像がどこにあるか探すのもまた旅の楽しみということで。
必見、大多喜お城祭り!!
明治4年(1871年)7月、廃藩置県とともに大多喜城は廃城となり、城内の建造物はすべて破却されました。昭和41年5月、県史跡"上総大多喜城本丸跡"として指定され、昭和50年9月、大多喜城(現・県立中央博物館大多喜城分館)が建設されたのを記念し、当時をしのんで毎年お城まつりが開催されています
徳川四天王の1人であります本多忠勝侯一行に扮(ふん)した武者行列やみこしの渡御が城下町に繰り出します。メイン会場(大多喜小学校)では、保育園児によるほほえましいダンスの発表、友好交流都市の東京都荒川区から参加の荒川区天王太鼓による和太鼓実演などが行われます。
武者行列のスタートは大多喜城から。火縄銃の音を合図に、一行はメインのお祭り広場(大多喜小学校)へと向かいます。そこで参加者はさらに増え、パレードは市街地沿道へと繰り出していきます。
パレードの中心にはもちろん本多忠勝の姿が!騎乗した戦国武将、その周りを彩るたくさんの旗持ち、煙をあげる火縄銃、そして歴史情緒あふれる町並みなど、まるで戦国時代にタイムスリップしたかのようになること請け合いです。
参加者の中には「大多喜手作り甲冑隊」の姿が。この団体のメンバーは、地元の方々が半年近くかけて丁寧に制作した鎧や兜を身に着けているのです。使われている素材はなんとダンボール。そのためお祭り当日の天気はとても気にしているとのこと。それにしても完成度高いですね。
五月人形を通じた思い出づくりに
すでに購入済みのご家族はもちろん、今後購入を予定している皆さまも男の子が大きくなったときにこれらのイベントに足を運んでみてはいかがでしょう?
「このお祭り、お祝いで飾っている人形と関係があるんだよ。」 そんな話をしながら、親子一緒に贅沢な時間の過ごし方ができるのではないでしょうか。
そして将来お子さまが大人になり、ふと端午の節句をふと思い出したとき、子供の頃の記憶とともに親子ですごした素敵な思い出もきっと蘇るはずです。
ぜひご家族揃って端午の節句、各地の頼朝行事、そして本多忠勝の五月人形をお楽しみ下さいませ。